「ファン・クラブ通信」 第94号 (2005/08/31) ≪ Endo Method 14:私が英会話に強くなれたわけ – 5 ≫

・駐留軍で腕を磨く

私は学生生活の間に、約4年間、夕方4時から夜の9時までの5時間、毎日駐
留軍で通訳として働きました。

その理由は、学生仲間で「英会話クラブ」を作り、英語で切磋琢磨することを
試みたのですが、私も含めて全員の英語力が低くて会話が続かず、これでは意
味がないと思い、又英会話学校を4~5校渡り歩いたのですが、最近の英会話
学校と同様に当時の英会話学校でも、時間とお金の無駄であることがわかり、
この上は本場のアメリカ社会と同様な環境を作っている駐留軍に飛び込む以外
に効果的な道はないと思ったからです。

駐留軍社会と言うのはアメリカ本土での生活と全く同じ英語環境でしたので、
私は4年間の語学留学をアメリカでしたのとほぼ同等の英会話力を得たとも言
えましょう。

そして駐留軍生活の4年目頃には私は日本人通訳としては最高レベルに達して
いたと思います。

しかし、それでも私としては日系二世のアメリカ軍人の通訳の英会話力を言語
係数:100%、即ち “1.0” とすると、私の言語係数はまだ “0.3” 程度と低かっ
たと自覚していたのです。 
・言語係数

駐留軍で、私のように、これほどまで始終英語に囲まれているような生活をし
ていれば、英語で話したり聞いたりすることは、この段階で、もうアメリカ人
並みになっただろうと思う人がいるかも知れません。 実は私もそう考えてい
たのでした。

ところが予想外なことに、私の英語はある程度までいくと、それ以上には伸び
なくなってしまったのです。 突然何か思いがけない厚い壁にぶつかったよう
に感じたのです。 その頃のことを振り返ってみると、映画によっては一度見
ただけでは完全に話の筋が追えないことがありました。 話が複雑だったり、
会話の内容が難しかったりすると、どうしても話についていけなかったのです。

そして判らないからといって、いくら繰り返して同じ映画を見ても、少しはわ
かるようになるが、それ以上に判るようにはならなかったのです。 こんなに
努力しているのに……。
自分には英語をマスターする能力や才覚がないのかと、がっかりしたり悩んだ
りしたものでした。

 もしかしたら、皆さんの中にも、今の自分が、まさにそうだ、と思い当たる
人がいるかも知れません。

もし、そういう人がいたら、ぜひとも教えてあげたい。 がっかりしなくても
よいことを。 決して貴方の能力が足りないのではないことを。
これは完璧な英会話力をめざす全ての日本人が通らねばならない大きな「関
所」なのです。

 私の Endo Method(効率的英会話習得法)では、言語係数 0.3 までに急速
に上げる方法だけでなく、言語係数を 0.3 から 1.0 近くにまで上げる方法も
説いているのです。

「ファン・クラブ通信」 第93号 (2005/08/24) ≪ Endo Method 13:私が英会話に強くなれたわけ – 4 ≫

今回のファンクラブ通信は、文中に国際発音記号を多用しているためテキスト
形式では表現できないので、WEB上で公開いたします。

以下のURLからご覧ください:

   http://www.pasocon-eikaiwa.net/access/fc093.html

「ファン・クラブ通信」 第92号 (2005/08/17) ≪ 費用をかけずにネイティヴと話す方法 ≫

今日は「安く、またはタダで、ネイティヴと話す機会を得る方法」をお知らせ
しましょう。

今まで何度も私が触れてきたことですが、Endo Method で、或る程度の英会話
力がついた生徒さんは、自分の実力を試すために【他流試合】の目的でネイテ
ィヴと話して見たいものです。
しかし、それが安く簡単に出来る方法が無いので皆さんはお困りなのです。

しかし、この「安く、またはタダで、ネイティヴと話す機会を得る方法」を井
形慶子さんがご自分の著書である「イギリス流 つぎはぎ英語で大丈夫!」で
紹介されているのです。
是非お勧めしたい本なので、弊社で積極的にご紹介しております。

私は井形慶子さんのインタヴューをうけ、それが2005年4月17日に FM FUJI よ
り放送されました。

その録音は次の URLから聴くことが出来ます:

   http://www.pasocon-eikaiwa.com/shiryou/media/fm_fuji.html
井形慶子さんの「イギリス流 つぎはぎ英語で大丈夫!」はついては、次の
URLをご覧ください。

   http://www.pasocon-eikaiwa.net/access/tsugi.html

「ファン・クラブ通信」 第91号 (2005/08/10) ≪ Endo Method 12:私が英会話に強くなれたわけ – 3 ≫

This is the Far East Network
すっかりアメリカ英語に魅せられた私は、ラジオを聞くのが楽しみでした。ラ

ジオから駐留軍向けの放送であるFEN(極東米国駐留軍放送網)が流される

ようになると、ラジオの前に座り込み耳をそばだてるようにしてその放送に聞

き入りました。

 当時のラジオは音質がたいへん悪く、ピーピーガーガーという雑音もよく入

りましたが、それでも本場のアメリカ英語が聞けるというので、時間があると

私はFENを聞いたものでした。
 そうして聞いていると、アメリカ英語の響きはいつも私の耳に心地よく聞こ

えたのです。 けれども肝心の放送の内容は、正直に言ってよくわかりません

でした。 何を言っているか理解できなかったのです。 番組の始めにいつも、

アナウンサーが ”This is the Far East Network.”. と繰り返すのですが、

その言葉さえ何を言っているのか聞き取れなかったのです。

もっとも始めのThis is theまではわかるのです。

しかし後に続くFar East Networkが聞き取れず、どうしても「パー リー ス

ナックバー」にしか聞こえないのでした。パー リー スナックバー、パー 

リー スナックバー、これは一体何のことだろうと首をかしげて考えてみるが、

いくら考えても意味がわかりません。

そこで再びラジオの前に座り込んで何度も何度も繰り返し、耳を澄まして神経

を研ぎ澄まして聞いてみるのですが、私の耳にはどうしても「パー リー ス

ナックバー」に聞こえるのでした。

のちに述べますが、私が駐留軍に勤めていたときに、Snack Barと呼ばれる軽

食堂があり、この単語を知っていたので、そう聞こえたのでしょう。
 語学の基本は音だという信念を持って勉強してきたのに、こんなことも聞き

取れないようでは情けなく思いました。これまでの私の勉強は何だったのか、

生きた英語の力がないことを身にしみて感じたものでした。

 

「ファン・クラブ通信」 第90号 (2005/08/03) ≪ Endo Method 11:私が英会話に強くなれたわけ – 2 ≫

敗戦と私の英会話
このように私は「発音が英語の基礎」との考えを貫いていたので、第二次大戦

で日本が負けて、アメリカの軍隊が日本にやって来たことを契機に私の英会話

力は急速に進んで行ったのです。
昭和20年/1945年に第二次大戦が終わりました。

負けた日本は占領下に置かれ、私の住んでいた大阪にも米国陸軍の第25歩兵

師団が駐留しました。 街は駐留軍の兵士たちのしゃべる英語であふれ、ラジ

オからは駐留軍向けの英語放送が流れました。

また、新しいアメリカ映画が週に2~3本映画館で上映されるようになりまし

た。
このようにアメリカの駐留軍が入ってきたので、私は生まれて初めてアメリカ

人が話す生の英語に触れました。 映画館にも度々通いました。 同じ映画を

勉強のために続けて3回程も聴くこともあり、そのために昼弁当持ちで映画館

に行ったものでした。 
中学校の頃から発音には注意してきたつもりでした。

[f], [v], [θ], [θ] の濁音などは、どのように発音すれば良いかは既に知

っていましたが、bird のアンダー・ラインを引いた発音や、cat のア
                  ̄ ̄                     ̄
ンダー・ラインを引いた発音などは、学校の先生も正しい発音を実際にして見

せてくれなかったので、大変な驚きでした。
単語の発音はもとより、英語をしゃべる時のリズム感、イントネイションなど、

生の英語がどんなものか全く知らなかったので、非常な衝撃を受けました。 

感動した、と言っても良いかもしれません。